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スリランカ旅行記(2012−2013)
真夜中のコロンボ市内。誰もいないがライトアップされている。寂寥か異様か。
スリランカでの初カレー。辛いのはとにかく辛い。
食堂の従業員たち。人懐っこい。
果物を売る人々。(ブドウ山積み ⇔ リンゴ)
どの国にも大木には魂が宿る?大木は切り倒されない。
スリランカの道端には、常に仏陀が存在する
スリランカの人たちは人懐っこい。
フォート地区のデカい建物
調理パンやサムサ類
1.コロンボの雑踏(1)
2012年12月24日月曜日。
朝6:25起床。まだ風邪気味の身体と頭は重いままだが、何とかなりそうだ。それにしても体調不良で旅に出発することは今まで思い出せない。寝不足はいくらでもあったが。
6:50車で成田へ出発。国道51号線に乗る前の「小倉いちょう通り」のファミマで朝飯。菓子パン、アリナミンV、コーヒー。一服した後、51号を一路成田へ。道は空いていて、USAパーキングに8時過ぎに予定通り到着。
空港でチェックイン後、空港のドラッグストアでバカ高の正露丸糖衣を購入。840円もした。クソが。
10:50頃、香港行きのキャセイパシフィック便が離陸。機内はガラガラ。2−4−2のシートで、搭乗率は50〜60%程度か。僕の隣の席に乗客はいない。香港までの5時間20分、機内ではずっと寝ていた。途中ショボい機内食が一度。15:10頃香港着。
コロンボ行きやクアラルンプール行きの飛行機への乗り継ぎ時間が短いらしく、香港で降りた乗客たちは、キャセイの係員に次のゲートまで誘導される。僕はコロンボ行きの一団と思ってついていったグループがクアラルンプール行きだということが途中で分かり、危うく乗り遅れそうになった。ぎりぎりでタバコを吸って、コロンボ行きの飛行機に駆け込んだのが15:55。16:00発なので危ない危ない、と安堵していたら、その後も客は続々と乗り込んできて、離陸したのは結局25分遅れの16:25。機内はほぼ満席。シンガポール人、中国人、スリランカ、インド人らが席を埋める。これまでの機内アナウンスは、英語と中国語。飛行機は一度シンガポールに降りる。19:45。香港→シンガポールの所要は3時間20分。この先コロンボまで行く乗客もすべてシンガポールで降ろされ、別のゲートまで移動する。便名はCX711で変わらない。待合室にはインド系の顔が多い。肌が黒くて目がクリッとしている。機内でまた寝たので、体調は何となく回復。だがまだ完調にはほど遠い。建物から外の外気の中に造られた喫煙室に入って一服。シンガポールの熱帯夜の熱と湿気がムワっと来る。一服後、クソをする。
シンガポール発21:30(日本時間22:30)。機内は空席あり。便名が同じだけあって、香港→シンガポールとキャビンクルーも同じ。スチュワーデスの一人が、サンタ帽をかぶっている。そういえば今日はクリスマスイブか。
コロンボ着23時。もう夜中だ。空港の両替屋で両替。銀行は3軒あるが、いずれもレートは同じ。トーマスクックで替える。1ドル=約124ルピー。一緒に降りた欧米人、日本人らと列に並ぶ。
空港を出ると、ムワっとした暖気と湿気が身体を包み込む。コロンボは北緯7度。12月の夜中でも暑いわけだ。
空港からコロンボ市街までは車で1時間ほどかかるそうで、ここはエアポートタクシーで仕方ない。2640ルピー(20ドル)だが、1時間かかるのであれば良しとせねばなるまい。バン型の大きなタクシーに僕が一人だけ乗る。キングストン(ジャマイカ)のパターンだ。あの街に着いたのも夜中で、治安が悪いと聞いていたので緊張したものだが、コロンボはどうなのだろうか。
空港からすぐに高速的な道路に乗る。運ちゃんは凄まじい勢いで飛ばす。空港からしばらくは暗い大地に時々でかいライトアップ看板が通り過ぎる。しばらくすると街が現れる。クリスマスだからか、電飾で飾り付けられた建物が多く見られる。金持ちは結構持っていそうだ。また、時々爆竹の音もうるさい。
僕がタクシーの中で目を見張ったのは、道脇に時々現れる仏像である。ライトアップされ、七色の後光が射していたりする。この国の人々の仏教への信仰心は相当なものだと推測される。要するに、祈るための仏陀がそこらじゅうにいるのだ。人々はこれらの仏像で常日頃祈りを捧げているのだろう。
コロンボの中心に着いたのは日付が変わって夜中12時20分ごろ。『地球の歩き方』に載っていたシャリンカ・レストインの前に着いたが、あいにく閉まっている。運転手はその他に安宿など知らなさそうだったし、さらにここから連れ回されて追加料金を払うのは真っ平ごめんだったので(キングストンの二の舞だ)、僕はここで料金を支払ってバンを降りる。通りはクリスマスのせいか電飾が点っているが、人通りはない。しかし、少し歩いて駅前の大通りに出ると、暗い通りに人々がウヨウヨと蠢いていた。いるのはすべて男で、歩いていたり、グループで手すりにもたれていたり、そして道端には浮浪者なのか酔っ払いなのか、何人も寝ている。盛り場が近くにある様子もなく、店はすべて閉まっている。この人たちは何をしているのだろう?
さっきバンを降り際、運ちゃんに聞いてみた。
「ここは危ない街かな?」
「そんなことないさ、全然安全だよ」
(おうおう、これはどうなのかな?危ない雰囲気かしら?)
とビビリながら、通りを歩いて開いている安宿がないか探す。スリランカではホテルは「HOTEL」ではなく、「ROOMS」という表示である。紛らわしいことに、「HOTEL」という看板もあるのだが、スリランカではこれらは食堂を指すのだ。いくつか入り口に灯りのついたROOMSの看板があり、雑居ビルのような狭い階段を上ってみる。が、いずれも閉まっている。どうやら、ここコロンボの安宿は、夜になると鍵が閉まってしまって入れないようだ。国が違えば勝手も違う・・・か。『歩き方』に載ってたクラウンレストもダメ。
すると僕に声をかけてきた男がいる。
「何を探しているんだい?」
あぁ、これは一番まずいパターンだ。旅初日の夜中、この国のことがまだ全く分からないところに、宿を探して見つからず途方にくれている日本人に声をかけてくる地元民。俺って最高のカモか?と自問自答しながら答える。
「ホテルだ。安いところ」
「だったら俺が知ってるから連れて行ってやる」
思った通りの展開になったが、宿が見つからなければ、そこいらで寝ている男らと同じように道端で野宿になりかねない。そうしたら身包みはがされる危険もあるわけだから、何としても一応宿に入らねばならない。仕方ないので、こいつに案内してもらうことにする。
男はインド人で、学生だという。なるほど、歳はいってなさそうだ。この国にはインド人が多いのだろうか。
こいつは、次々と近くの宿に入っていくが、僕がさっき入ったところを含め、どこももう閉まっているか、管理人が寝てしまっていないかだった。いよいよ野宿を覚悟する。
だが、まだ開いていて、ホテルの主人がいるところがやっとのことで見つかった。案の定、エアコンなしの部屋で2200ルピーと吹っかけられる。インド人の男も、仕方ない、と言う。確かに、もうどこにも行くところがないのだから、吹っかけて当たり前の状況だ。
結局2000ルピー(約16ドル)で泊まることを決める。インド人の男は結局、いい奴かどうかは分からないが、悪い奴ではなかった。ありえるパターンとしては、ここで「紹介料だ」とかいってさらに金を要求されることだが、奴は何もしなかった。だがひょっとすると、吹っかけられてしぶしぶ了承した2000ルピーの一部をこの男が仲介料としてはねるのかもしれない。もしくは、とてもいい奴で、「案内してやる」と言ったはいいものの、この夜中に宿がなかなか見つからず、結構焦っていたのかもしれない。この時点では知る由もなかったが、この後旅を通じて僕が実感したのは、スリランカは驚くほど治安のいい国だということだ。つまりは、人々が悪だくみをしない、ということである。
何はともあれ、野宿は免れた。これまたキングストンの状況と似ている。ここの狭い部屋にあるのはベッドとプラスチック製の小さないすのみ。ベッドには枕しかない。毛布など一切なし。暑いのだ。午前1時。日本時間で言えばもう午前4時30分。体調も完璧ではなくキツいはずだが、何となく元気だ。コロンボに着いて、警戒心とアドレナリンのせいか。扇風機をかけて眠りに落ちる。
12月25日火曜日。
朝10時前に起き、クソをしてからチェックアウト。このレストハウスはフォート駅前の大通り沿いにあり、朝早くから車の音とクラクションがひどくうるさい。行こうと思っていたシャリンカ・レストインへ。ここからは目と鼻の先。大通りから道を少し入ったところにある。エアコンつきの部屋はない、とのこと。ファン、バストイレ別だが広い部屋をオファーしてくれた。ここで1200ルピーだから、昨晩がいかにボッタクリかが分かる。この部屋に決める。
11時ごろ部屋を出て、コロンボの中心街ペターを歩く。なるほどこれがスリランカ。デリーメインバザールのような雑踏が広がる。黒っぽい顔をした人が行き交い、極彩色で鮮やかな看板群。スリーウィーラー(トゥクトゥク)も、赤、青、緑と色とりどり。
体調はまだまだ。体調不良を増幅させるような暑さと湿気。ホンマ、不快な気候だ。南の島特有という感じだ。Tシャツ短パンで歩く。人々は人懐っこい。目を合わせるとしばらくしてニコッとする人が多い。こういう開発途上の国の人々が僕みたいな旅行者に対する反応は大きく分けて二つ。好奇心むき出しでガン見してくるのはどこでも大抵同じだが、そのまま警戒心を保つ場合と、警戒心を解いてくる場合。ここでは後者だ。スリランカの人々の人間性が垣間見える。
ペターは、庶民の活気あふれるいわば下町であり、各通りには様々な品物を扱う店が並ぶ。通りごとに扱う品物が分かれていて、1st. Crossストリートから4th Cross ストリートまで、どの通りも人とスリーウィーラーでごった返している。昨日の真夜中の無人状態とは別世界のようだ。女性の姿も数多く見られる。が売る人も買う人も、圧倒的に男が多い。衣料品を売る通り、食材を売る通り、電化製品を売る通り。食材通りにはスパイスの香りが立ち込める。ヨーロッパやオリエントがかつて熱望したスパイスだ。
昼飯はまずカレー。スリランカの主食はとりもなおさずカレーである。地元の人が入る大衆食堂に入り、カレーを頼む。インドのターリーと同じく、米かナンに、幾種類のカレーが入った小さなボウルがいくつも出てくる。メインはチキン。辛い。やはり辛い。かなり辛い。ただ、体調が万全ではなかったので、さらに辛く感じたのかもしれない。いずれにせよ、弱った胃腸にこの辛さは応える。スリランカ人やインド人と、我々日本人の消化器官は違うのだということをまたもや痛感させられる。
食堂のおやっさんたちは興味深々で僕の様子を伺っている。みんな人懐っこい。食堂の柱の上のほうに小さな仏壇が作ってあって、仏像が飾られている。これまた電飾の後光が射す。日本でいえば神棚みたいなものだ。
青空市場に出る。トタン屋根の一画に、野菜売りがずらりと並んでいる。さらには果物。南国スリランカは、ご他聞に漏れず果物の宝庫だということが分かる。豊かな食生活が垣間見える。
裏にキリスト教会が建っている。スリランカは仏教の国だが、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教も共存している。仏教徒は国民の70%とのことなので、タイ(同94%)やミャンマー(同85%)よりは他宗教の人々も住んでいることになる。
次は歩いて新市街的なフォート地区へ。フォートはペターの西側、インド洋沿いの地区で、大統領官邸、官公庁、オフィスビル、高級ホテルが立ち並ぶいわゆる新市街である。ペターとは打って変わって、近代的な建物が幅を利かせる。
ここではトゥクトゥクの運転手が次々に声をかけてくる。一番多いのが次のフレーズだ。
「ガンガラーマ寺院のエレファントショーを見に行かないか」
聞けば、クリスマスだけやってるとか、今行かないと今日はもう終わりなので見れない、とか、あの手この手で「今すぐに行かないとダメ」という意識を旅行者に植え付けようとする、誘いの常套手段だ。まぁ、中には本当のことを言っている奴もいるのかもしれないが、ガンガラーマ寺院がある南の方は後で行こうと思っているので、それらの誘いをすべてやり過ごす。
フォートの港は立ち入り禁止。軍事上なのか、関係者しか入れない。入り口で警官だか軍人が検問していて、入ろうとした中国人二人組も、セドゥラーのようなIDを見せて通ろうとしたが許可されなかった。
ペターとフォートを歩き回って4時間。疲れたので一旦ペターの真ん中にあるホテルに帰る。午後3時。少し休んでまた出かけようと思って、横になったら、そのまま9時まで眠ってしまった。疲れが出たか、もう歳か。
夜9時過ぎ外に出るが、シャリンカ・レストインの前の道には誰もいない。昨日と同じだ。昼間の、露店の男たちの呼び込みの声、スリーウィーラーのエンジン音、クラクションといった喧騒が、嘘のように静まり返っている。白昼夢の後。
フォート駅前の大通りにはまだやっている食堂があり、アーッパ等を食す客で賑わっていた。僕はここでサムサ風の揚げ物と甘い団子似の菓子、マンゴージュースを買う。この大通り、オルコット・マーワタにはまだまだ人が出ていて、スリーウィーラーもいて、賑わいが残っている。そういえば昨晩も12時過ぎにホテルを探してこの通りを歩き回ったが、まだ人々が蠢いていた。ホテルはすべて閉まっていたが。
ホテルに戻り、サムサと団子を食べ、一服してさっき寝てたというのにまた眠る。
(続く)
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